ブロツワフ大学は9人のノーベル賞受賞者を輩出しています。
「歴史あるポーランドの大学」でも簡単にブロツワフ大学の歴史に触れましたが、ここでは少し詳しくブロツワフ大学の歴史について書かせて頂きます。
ブロツワフ大学は1702年(江戸時代)から運営されていますが、現在の特徴を作ったのは1800年代~1900年代初頭(江戸時代後期 ~ 大正)のようです。 この頃はドイツの大学でしたら、ドイツ(当時のプロイセン)がヴロツワフ大学の特徴を作った、と言えるかもしれません。
1800年代初頭にヴロツワフ大学の原型となる大学はフランクフルトの大学と合弁したこと契機に、ヴロツワフ大学は大きく発展しました。前のブログにも書きましたが、この頃は後にノーベル賞学者となるような学者が教鞭を取っていたり、ノーベル賞学者となる人が学んでいました。
大学のホームページには以下の9名のノーベル賞受賞者が挙がっていますが、その方達の受賞内容やヴロツワフ大学とのかかわりも簡単に書かせて頂きます。ブロツワフ大学で学んだり教鞭を取ったことが確認できなかった方もいますが、ヴロツワフ大学の見解に従って掲載します。
受賞者名 | 受賞内容とヴロツワフ大学との係わり |
テオドール・モムセン(1817-1903) | 1902年に「ローマ史」でノーベル文学賞を受賞。ヴロツワフ大学では法学部教授。 |
フィリップ・レーナルト(1862-1947) | 1905年に陰極線の研究でノーベル物理学賞を受賞。ヴロツワフ大学では講師。 |
エドゥアルド・ブフナー(1860-1917) | 1907年に生きた細胞を介さない発酵プロセスを発見した功績により、ノーベル化学賞を受賞。ヴロツワフ大学では教授。 |
パウル・エールリヒ(1854-1915) | 1908年に免疫学の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞。ヴロツワフ大学でも医学を学ぶ。 |
フリッツ・ハーバー(1868-1934) | 1918年にアンモニア合成法を開発したことでノーベル化学賞を受賞。ヴロツワフ出身。 |
フリードリッヒ・ベルギウス(1884-1949) | 1931年に化学的高圧法の発見と分析でノーベル化学賞を受賞。ヴロツワフ大学で学んだことがある。(卒業はしていない。) |
エルヴィン・シュレーディンガー(1887‐1961) | 1933年に「新形式の原子理論の発見」の業績によりノーベル物理学賞を受賞。ヴロツワフ大学では教授。 |
オットー・シュテルン(1888-1969) | 1943年、分子線法の開発と陽子の磁気モーメントの発見への貢献が認められ、ノーベル物理学賞を受賞。ヴロツワフ大学の卒業生。 |
マックス・ボルン(1882-1970) | 1954年、波動関数の確立解釈の提唱により、ノーベル物理学賞を受賞。ヴロツワフ大学では教授。 |
上記以外にも当時有名な学者が教鞭を取っていたようです。ヴロツワフ出身のノーベル賞受賞者は科学の分野で受賞された方が多いですが、今日でもブロツワフ大学は科学分野に力を注いでいるとのことです。
1900年代初頭には女性の講師や学生がキャンパスに現れ始め、また、当時のドイツにとっての少数民族の方々の学生数が増え、ヴロツワフ大学の多民族性と国際性は このころに形成されたとのことです。
ヴロツワフ大学は、今でも留学生の満足度が高い大学として上位に位置する大学ですし、ヴロツワフは開放的な町ですが、それは このような歴史があるためかもしれません。
第二次世界大戦では大学の建物は70%程度破壊されたようですが、戦争が終わったその年の1945年にポーランドの人達の手で再建され、授業も再開されました。ポーランドが独立する7年前にあたります。
ヴロツワフ工科大学はヴロツワフ大学から戦後に岐かれた大学ですが、厳密に言えばブロツワフ工科大学出身のノーベル賞受賞者としてカウントすべき方もいらっしゃるのかもしれません。息子のヴロツワフ工科大学の友人たちは、優秀な方が多いようですが、ヴロツワフ大学の歴史が大いに影響しているように思います。
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・ヴロツワフ大学の英語コース
・ヴロツワフ大学の学部・学科
情報ソースのリンク先 一覧
・ヴロツワフ大学の歴史:
・ヴロツワフ大学 ホームページ
・Wikipedia
・ ヴロツワフ大学のノーベル賞受賞者:
・ヴロツワフ大学 ホームページ
・visitWroclaw.eu
・ノーベル賞受賞者の略歴等: Wikipedia