折り紙は日本とポーランドの絆の証です。
先日、息子とLINEで話した際、留学間もない頃にアニメクラブのメンバーがヴロツワフ市内を案内してくれた時の話が出たのですが、今まで知らなかったエピソードを教えてもらったので ご紹介します。
2年前の秋、アニメクラブのメンバーに ヴロツワフ大学付属の植物園へ連れて行ってもらった時の事です。花を見ていた少女がポーランド語で喋ったとき、「オリガミ」という単語が聞こえたので、アニメクラブの人に「今、あの子がオリガミって言ってたけど、日本の折り紙の事?」って聞いたら、「日本の折り紙の事だよ。あの子は「折り紙みたいな花ね。」って言ったんだ。」と教えてくれたそうです。
「折り紙と盆栽とアニメ」にも書きましたが、ポーランドでは折り紙は小さい頃に習うもので、そのアニメクラブの人も小さい頃に習ったそうです。その人は日本の折り紙がポーランドで普及した理由も教えてくれました。
大正時代、日本はポーランド孤児を救出したことがありました。 折り紙は、その孤児たちがポーランドに広めたものだそうです。 昨年(2023年6月)に100年式典がありましたので ご存じの方も多いかもしれませんが、ポーランド孤児救出のエピソードは以下の通りです。
第一次世界大戦時のシベリアや満州には20万人のポーランド人がいましたが、ロシア革命に伴う内戦で多くの子供たちが孤児になり、病気や飢餓に苦しんだりしていました。ポーランドは子供たちの救出を各国に要請しましたが、日本政府だけが要請に応え、陸軍は763人の孤児を救出しました。
当時の日本人は孤児たちを歓迎し、多くの大人が義援金や食料を贈り、子供たちは自分の着物や玩具をプレゼントしたそうです。やがて元気を取り戻した孤児たちが神戸港から船でポーランドに戻る際には「日本を離れたくない」と泣き、船上から「アリガトウ」を連呼し、君が代とポーランド国歌を歌い、別れを惜しんだそうです。
時が流れ、阪神淡路大震災の後、ポーランドは被災児童をポーランドに招待し、高齢になったポーランド孤児が今度は被災児童を励ましてくれました。駐日ポーランド大使館の参事官の旗振りで実現しましたが、その参事官は祖母から「日本に感謝すべきことがある」と言われていたそうです。当時のポーランドは民主化してから間もない頃で、決して裕福な国ではありませんでした。
日本とポーランドの交流の歴史を知っている日本人もポーランド人も、それほど多いわけはないかもしれません。でも、こんな歴史的な下地があるからこそ、たくさんのポーランドの人たちが日本人に優しく接して下さるのでしょう。このような遺産を残して下さった両国の大先輩方には本当に感謝しています。
ちなみに、折り紙の話してくれたアニメクラブのポーランド人は、この半年後にルームシェアする相手を探していた時に息子に声をかけてくれました。彼は今でも同じアパートの別の部屋に住んでいます。
情報ソースのリンク先 一覧
・ ポーランド孤児救出: 産経新聞、ZakZak