ユダヤ人について 〜日本人には理解が難しい感情~
フェネーナ「ヘブライ人として私は、彼らと共に死にましょう」
ナブッコ「嘘をつくな!…邪悪な者よ、跪け、わしの像の前に!」
フェネーナ「私はヘブライ人になったのです!」
ナブッコ「ひれ伏せ!跪け!… わしはもはや王ではない 神なのだ!!」
これは先日ヴロツワフのオペラで観た『ナブッコ』という歌劇のワンシーンです。
軍勢を率いてイスラエルを征服したバビロニアの王、ネブカドネザル(ナブッコ)を、イスラエルで生活しているうちにユダヤの王子と恋仲になってしまった娘のフェネーナが解放するように説得するのですが、ナブッコは一切聞く耳を持ちません。
この直後、神を名乗ったナブッコはエホバの神の雷を受けて気を失います。
その後、目を覚ましたと思えば、立場をガラリと変えて、エホバを讃えながらユダヤを解放し、「王の中の王」とユダヤの人々に讃えられて幕を閉じる。
全体を通して見ると左手で征服して右手で解放するようなとんでもないマッチポンプだったわけですが
皮肉なことにナブッコの代わりにユダヤを征服してヘブライの人々から故郷を奪ったのは、この歌劇を作ったイタリア人達の祖先であるローマ人であり、この曲目の中で奴隷として連れさられたユダヤ人達が故国を思って歌ったアリア「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」はイタリア第二の国歌と言われるほどに人気を博すことになりました。
ユダヤ人
ローマによって本当に故郷を追われたヘブライの人々は後にユダヤ人と呼ばれるようになります。
彼らはヨーロッパ中に散り散りとなり、長い歴史の中で話す言語も外見も変化し、人種としての定義も曖昧になっていきました。ただ一つ間違いなく共通するのは、彼らがユダヤ教徒であることです。
以前プラハについての記事でも触れましたが、ユダヤ教の特殊な埋葬文化からも伺える通り、彼らが西洋のキリスト教達の中で浮いた存在であったことは、想像に難くありません。
また西洋の人々にとって、異なる文化や宗教的背景を持つユダヤ人が彼らの社会に溶け込むことなく、しかも成功を収め裕福な暮らしを送っている姿は、目の上のたんこぶのように感じられたことでしょう。
ユダヤ人はなぜ嫌われたのか?
この問いについては、ユダヤ人についての歴史を知っている方であれば、誰もが一度は疑問に思うことでしょう。かく言う筆者自身も例に漏れず、しかしなかなか答えを見出せずにいました。
ある日ルクセンブルクに住む知人を頼ってポーランドから向かう最中、飛行機の機内で多くのユダヤ人を見かけたのを覚えています。彼らはいわゆるオーソドックスと呼ばれる人々で、伝統として山高帽に黒のロングコートを基調とした慎ましい装いをしているので一目で分かるのです。
またユダヤ人は長らく金融で生計を立ててきた側面があります。それは今でも変わらないので、EUの金融の中心地であるルクセンブルクに向かうのも不思議ではありません。
その後、ルクセンブルクで迎えて頂いた方にその事について尋ねてみると、曰く、「例えばフランス人で、インテリジェンスの高い人であっても、オーソドックスは酷い奴らだと言う人がいる」とのことで、長くヨーロッパの中心的な場所で暮らしていても明確な理由はわからないのだそうです。
この問いに回答を与えることは、簡単には成せないのだと思いました。
そう考えながらクラクフに住む知人を訪ねた時です。
ポーランドは第二次世界大戦前からユダヤ人の主な居住地のひとつでした。現在のイスラエルを建国した今でもポーランドに帰ってくるユダヤ人は年々増えていき、単なる歴史の遺産と化したように見えたシナゴーグも再稼働しているようです。そんなクラクフに住む生粋のポーランド人であれば何か別の視点を持っているのではないかと思い、尋ねてみることにしました。
「ユダヤ人ってなんで嫌われたんですか?」
「僕の視点では、これは異なる民族が共生していく上で生じる仕方ない問題なんだけどね。彼らはお金を持っていたからポーランドでもよく思われなかったんだ。例えば、レストランとか小売業でも、何かお店があるとしよう、そのオーナーは大抵ユダヤ人だった。名前で判別できるから、地元の人はまたかよって思っただろうね。
もう一つ、金貸屋と借りる側の関係の自然な摂理でもあると思うんだけど、金を他人に貸したら取り立てるのは当たり前だ、時には口汚く罵ったり暴力に訴えてでも取り立てる。ところがユダヤ人同士は話が別だ。お互い身内なのだから仲良く助け合ってる。それを見て妬ましく思う人も多かっただろう。
世界が恐慌に陥った時、利益を得るのは金持ちだ。潰れそうな会社を買収して「こんなに安く買えたぜ」と自慢しあう。
ここら辺が嫌われた理由なんだろうなって思うよ」
ルクセンブルクで聞いた話も、クラクフで聞いた話も、どちらも正しいのだと思います。
個人で嫌われることはあっても、ユダヤ人達は明らかに違法であり続けたわけではない。それどころかユダヤ人達がヨーロッパの発展にもたらした貢献度の大きさは無視できない程です。
今でもノーベル賞の22%、フィールズ賞の30%、チェスの世界チャンピオンの54%はユダヤ人です。彼らのインテリジェンスと、それによる社会への貢献は火を見るよりも明らか。
妬ましく思われたのは確かかもしれませんが、それが純粋な理由となってあそこまでの悲劇が生まれたとは到底思えないのです。
欧州とユダヤ人
ナブッコにはヨーロッパ人のユダヤ人に対する複雑な感情が表れているような気がします。
第二次世界大戦前、ファシスト政権による人種法でユダヤ人から市民権を剥奪しておきながら、終戦後にミラノのスカラ座が復興した最初の記念コンサートの曲目の中には当然のようにあの第二の国歌とも呼ばれたアリアの存在がありました。
疎ましく思っていても、どこかそこには憧れや羨ましさのようなものがあったのだと思います。
これが今現在のユダヤ人に関する見解ですが、これからも見聞を広め、アップデートしていくつもりです。
もし、この答えを知っている方がいましたら、ご連絡ください。
オペラの歌詞引用元:https://w.atwiki.jp/oper/pages/640.html