パリ旅行⑤ 〜2000年前のパリの姿を求めて〜
ここ数年で最も印象に残った本の中に、中沢新一の『アースダイバー』というものがあります。それは東京の街を『縄文時代』の頃の地図を持って歩くという非常に斬新で遊び心のあるコンセプトを持っていました。一見「そんな地図、古すぎて何の役にも立たないじゃないか」と思いますが、そこから見えてくる古代と現在の繋がりには驚かされるばかりだったのを覚えています。
さて、フランスの首都『パリ』もまた古代から続く、歴史のある都市です。せっかくなので、この文化と芸術の入り乱れるパリの『古代』の姿を探してみようというのが本稿の趣旨です。
古名:ルテティア(Lutetia)
パリの地下鉄の駅の通路に古代のパリの姿を描いた絵が貼ってあります。
古代ローマ時代の名前をルテティア、名前の由来は『泥』でした。ルテティアのローマ時代はユリウスカエサルのガリア遠征(現在のフランス辺りの昔の地名をガリア)に始まります。
現在のフランスの都市といえば第一にパリ、第二にリヨン、第三にマルセイユですが、古代のフランスであれば、第一にルグドゥヌム(リヨン)、第二にマッシリア(マルセイユ)、第三にルテティア(パリ)でした。
西ローマ帝国崩壊後、ルテティアに住んでいたパリシィ(Parisii)族に因んで現在のパリに改名されたのでした。
パリの円形闘技場
古代ローマの都市であったことを象徴すると言っても過言ではない施設、それは円形闘技場でしょう。パリの5区にもそれがあります。現在のパリ5区を古代の地図と照らし合わせてみると、ちょうどルテティアの右側上部にそれがあったことがわかります。
現在は子供たちがボール遊びをする公園として使われているようです。
古代から続く歴史地区:パリ5区
周辺を散策すると、5区には古い時代の名残があることがわかります。
円形闘技場から徒歩数分の坂の途中にある中世のパリを囲んだフィリップオーギュストの城壁に関する碑文。
この城壁は12世紀後半から13世紀初頭にかけて建造され、ルーヴル要塞、古代から続くパリ都市部(左岸を意味するrive gauche)、と右岸の経済地区を囲んでいたようです。
もう少し歩くと、パンテオンが見えてきます。
パリのパンテオンの建造は18世紀と近代ではありますが、古代風の建築(所謂:新古典主義)で、ローマにあるそれと同様の、ギリシャ語で『神々の社』を意味するパンテオンと名付けられています。
古代の視点を持つとファッションや芸術とはまた違った新鮮なパリの世界が見えてくるような気がします。5区やその周辺には大学や研究機関も集まっており、古くから街の中心的な役割を果たしていたことが窺えます。