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ヨーロッパ旅行

ミラノのクリスマス

~最後の晩餐と究極のクリぼっち~

僕の通うヴロツワフ大学ではクリスマスの時期になると、十日ほどの休みに入ります。大体クリスマス当日の二、三日前から始まり、年が明けたら次の日から再開というような、日本の正月を一二週間先取りしたような日程となります。ポーランド人、あるいは周辺のヨーロッパ圏から来た学生達は、里帰りするのが一般的なようで、電車の中はスーツケースを携えた人々で混み合います。日本人の僕はこの中途半端に限られた日程で里帰りするわけにもいかないので、イタリア旅行を計画しました。今回はミラノとヴェネツィア(ヴェネツィア編はこちらから)

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ミラノのクリスマス

ミラノに着いたのが24日の夕方、それは衝撃的な体験でした。お店がほとんど閉まっていたのです。キリスト教国家であれば、安息日の日曜日はお店のほとんど(スーパーも含め)が閉まっているのですが、このミラノのクリスマスの日に至っては、それだけでなくレストランも多くが閉まっている、あるいは昼までの営業なのです。たまに空いている店があるかと思えば予約制だったりと「行き当たりばっちり」の理念で事前に下調べもせずにノコノコとやってきた観光客に早速ピンチが襲います。もう一つの問題は、やることがないというものです。博物館なども営業していないため、ただただ道を歩くだけでした。

そんな中、調べているとレオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」だけは営業していたのです。

チケットを巡って

レオナルドダヴィンチが描いた『最後の晩餐』はあまりにも有名ですが、それはミラノにある「サンタマリアデッレグラツィェ教会」の壁画にあります。

第二次世界大戦中に一度戦災で半壊した経緯があり、修復後の今でもとても壊れやすいため、厳重な保護状態の中で15分間のみの制限付きでの観覧となります。しかもかなりチケットが限られているため完全予約制で、当日券ともなれば絶望的です。

なんとか当日に見ることができないだろうかと模索していると、個人ガイド付きのツアーであれば予約が取れるということなので、そこに参加することになりました。価格は20€、通常のガイドなしのチケットでユース(18歳から25歳)であれば2€(一般価格は15€)で買うこともできるので少し勿体無いとも思いつつ、集合時間に向かいました。

最後の晩餐

クリスマスの日の夜に名画を見るとなると、フランダースの犬を連想させます。

主人公のネロ少年が命を賭してでも見ようとしたのは、ルーベンスの『キリストの昇架』。

それに対比して、この日僕が暇に耐えきれずに訪れたのはレオナルドダヴィンチの『最後の晩餐』どちらも教会に収蔵されています。

宗教画としての『最後の晩餐』はダヴィンチ以前にも描かれてきましたが、彼が特別だったのは裏切り者であるユダを他の弟子達と区別なく書いたことでした。

この場面はキリストが弟子達を集めて「この中に裏切り者がいる」と発言した時のシーンを描いています。弟子達は驚き、「私じゃない」と弁明する者も入れば、お互いに疑い合う者もいます。その中で左手でパンに手を伸ばし、右手に袋を持つ人物がいます(キリストの若干左)。どうやらこの人物がユダであり右手の袋には裏切りの報酬として得た金銭が入っています。一人一人の表情が豊かでとても面白みがあります。また、実際に見ると、フレスコ画なのにも関わらずまるで写真のような不思議な感覚を覚えます。

五百年の時を経て

レオナルドダヴィンチがこの絵を描き上げたのが1498年、それから今日にこの絵を届けるのに、実に500年以上の年月が経っています。その過程では様々なことが起こりました。

この絵があった部屋は長らく教会の食堂として使われていたらしく、食べ物による湿気で侵食という劣化現象に悩まされてきました。また、肝心のキリストの足が見えないようになっていますが、これは17世紀の改修工事で台所と食堂を繋ぐ扉が設置されたことで欠損したことが原因です。

近代ではその歴史的、および芸術的価値が認められて大切に扱われてきましたが、第二次世界大戦が勃発します。ファシスト党の本拠地でもあるミラノでは大規模な空爆があるだろうということで、この絵を保護するために土嚢が積まれます。

予想は的中し、連合軍による空爆でミラノは壊滅状況にまで陥りました。

教会全体も被害に遭い、全壊し、『最後の晩餐』も絶望的かのように思われましたが、奇跡的に壁画が描かれた面だけが生き残ったのです。

それでも空爆後に降った雨で色はすっかり落ちてしまい、修復は余儀なくされました。

クリスマスの奇跡

クリスマスは奇跡が起きる日です。

今日、この絵が残っていて、自分の目で見れるのは『奇跡的』だと人は言います。

思えば500年前、この絵が完成した時についた別名も「奇跡の絵画」でした。

後に訪れたヴェネツィアのレストランで、アイスランドから観光に来た親子に出会いました。その二人もつい前日までミラノに滞在していたそうで、最後の晩餐の話をすると「私たちは個人ツアーのチケットすら売り切れで諦めたよ。クリスマスの日に観れたなんてまさに奇跡的だね」と言われました。

あの日、最後の晩餐を観れたこと自体も、クリスマスが起こした奇跡の一つだったのかも知れません。

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