ポーランド民主化の発端は肉の価格!?

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 こんにちは、ポーランドとドイツの国境地帯を散策するのは、厳しい大学生活のちょっとした気分転換として丁度良いのですが、最近はポーランド側の国境警備が厳しくなり、私達のようなアジア人は検問にひっかっかることもあるようです。

 それでも訪れる楽しみの一つは、国境を行き交う人々の生活や目的を観察することです。例えば、国境に跨る橋を眺めていると、ポーランドのスーパーの袋を抱えてドイツへと渡る人達をよく目にします。ポーランドはドイツと比べて物価が安い。きっと国境近郊に住むドイツの人々もポーランドへと買い出しに来ているのだろうなと想像に難くないわけです。

 ある日、イタリアに留学していた友人をヴロツワフに招いて肉料理を食べに行きましたが、彼はその値段と美味しさに涙していました。

 そういえば、ポーランドの独立運動もその発端は肉の価格の高騰だったような。。。

共産主義政権下における食品価格の値上げ

 その時代を生きた知人曰く「あの頃は陰鬱で抑圧的で、道端には酒に逃げた酔っ払いがゴロゴロといた」という共産主義政権下のポーランドで、大きく食料品価格が値上げしたことが三回ありましたが、その度に抗議運動が起きました。

 初めは1970年の食料品の値上げ、この時の暴動は軍によって強制的に鎮圧され、多数の死傷者を出したといいます。次に6年後の1976年、バター33%、肉69–70%、砂糖100%などの価格が突如引き上げられ、これもまた暴動を引き起こしました。

 そして最後に1980年、肉の価格が60%ほど引き上げられ、今回のポーランド人は全国的なストライキをもって抵抗します。そしてこれが有名なレフ・ワレサ率いる反共産主義運動「Solidarność(連隊)」結成の直接的な契機となりました。

そしてこの一連の流れはそのままポーランドにおける共産主義を崩壊へと導きます。

引用:https://www.theguardian.com/world/from-the-archive-blog/2019/sep/18/the-birth-of-solidarity-in-poland-archive-1980

ポーランド人にとっての肉の価格

 なぜポーランド人にとって肉の価格がそれほど重要だったのでしょうか?

 確かに日本のように「肉がなければ魚を食べればいいじゃない?」 という論理はこの国では通用しません。バルト海の魚は国民の需要を満たせるほど豊富ではないし、流通させるのも文化的に難しい。肉がポーランド人にとって重要なタンパク源であるだけでなく、当時は高級品とされていた肉。ポーランド人は実は見栄っ張りな一面もあるようで、肉が高騰して買えなくなってからお肉に見えるようなパンを分厚く切ってお弁当に持つ人もいたのだとか。

 いくら社会的に抑圧されていたとしても、国民の不満は、自分の生活が直接的に脅かされた時に最も強く爆発するものなのかもしれません。

 僕はスーパーマーケットで安い肉を見るたびにこのことを思い出します。この肉が値上がりした日には次は何が起ころうのだろうか?

何が学べるだろう?

 このブログで何度も紹介している通り、ポーランドと日本は文化的に似ているといいます。

近年、日本国民の現政権への不満は募る一方ですが、結局は食生活への危機がトリガーとなって民主化したポーランドと同様、私達日本人も自分の生活に差し迫る脅威を目の前にした時に立ち上がる生き物なのでしょうか。

ならばそれは、例えば米の価格が10kgあたり10,000円になった時か、回転寿司の値段が一皿300円になったら、それとももっと大きな災厄とか・・・。