ヴェネツィア編③ ~高品質なガラス工芸の謎~
こんにちは、息子です。ヴェネツィア編も今回で一旦最終回、ガラス工芸の聖地ムラーノ島を巡ります。
ベニスの商業
日本とヴェネツィアは少し似ているところがあります。どちらも海に開けた土地に面していて、何よりも資源が少ない。自国の土地に売れるような資源がない場合の生存戦略は、主に、技術を磨き、材料を輸入し、それを加工して製品にして再輸出する加工貿易を確立させるか、海に有利な立地を生かして、海運と貿易で生計を立てるかのどちらかとなります。
日本と言えば前者です。粗鋼生産量、輸出量共に世界第3位でありながら、その原材料となる鉄鉱石と石炭は100%輸入に頼っています。
ヴェネツィアはもっぱら後者として有名ですが、加工産業にも力を入れていました。かつて宝石よりも高価であったと言われるブラーノ島のレース。そしてムラーノ島ではガラス工芸が盛んでした。
ムラーノ島
ヴェネツィアのガラス工芸品は全てムラーノ島の工房で作られています。その理由は二つ
- 溶鉱炉の火事から本島を守るため
- 技術の流出を防ぐため
ヴェネツィアの建築では、基礎工事をはじめとして至る所で木材が使われています。いざという時、火が町中に広がるのを恐れた政府によってガラス職人達はムラーノ島に住むことを余儀なくされたのです。
もう一つは、かなり切実な事情です。加工を産業として成立させるにおいて、技術が流出しては競争に打ち勝つことはできません。当たり前ですが、材料をわざわざ輸入しなければならないヴェネツィアが材料の産出国と同程度の加工技術しか持たなかったら、付加価値をつけてお金を生み出す事ができないのです。そのため技術の流出は大きく懸念され、生産量の限定などのブランディングまで含め政府によって管理されたのです。
おかげでヴェネツィア共和国ムラーノ島のガラス工芸はヨーロッパ中の貴族達の間でステータスとなり、職人達は名誉を獲得しました。その反面、職人は島を離れることが制限されるなど不自由な生活を余儀なくされたのです。
カラフルな街並の影に潜む歴史、同じ島国出身の僕も持たざる者の気持ちが痛いほど分かります。自由を犠牲にして職人に徹したムラーノ島の人々ですが、17世紀には経済危機もあり、社会の大衆化が進み、安価な物が好まれ、高品質でも高価なヴェネツィアの工芸品は次第に競争力を失っていきました。
終わりに(入場料導入について)
面積としては小さな都ですが、ヴェネツィアはどこを歩いても本当に美しいです。
人口5万足らずのところに、毎年3000万人もの観光客が訪れるわけですからオーバーツーリズムも甚だしい。それを少しでも緩和しようと最近、試験的にではありますが、ヴェネツィアの島内で宿泊しない観光客向けに入島税を導入したそうです。導入期間は2024/04/25〜同年/07/14まで。金額は一律で一人5€ですので、旅行を計画されている方は念頭に入れておいてください。